雑記帳

私の頭と心の中

カミングアウト

別に大層な話ではないが、恐らく自分は潜在的に「女の子になりたい」という欲求がある。気持ち悪いでしょうか。気分を悪くさせてすいません。後で書きますが、女装はしません。

 

性的自認がどうだ、嗜好がどうだという事ではない。所謂LGBTとは全く無縁なところで、純粋にそういう憧れ、みたいなものがある(気がする)。

少年が"正義の味方"に憧れるのと似たようなものだろうか?そういえば、小さい頃は仮面ライダーや戦隊モノのヒーローに全く興味が無かった一方で、たまに早起きした休日の朝はこっそりセーラームーンを見ていた。もっともストーリーを深く追うほどのファンではなく、漠然と「カッコいいなあ」と惹かれて見る程度ではあったが。自分がセーラームーンに惹かれているというのは、少年として何かひどく恥ずかしいような気がして家族にも友達にも話していなかった。

 

この「女の子になりたい」という気持ちの正体が何なのか、自分でも未だ上手く落としどころをつけられていない。

「可愛い女の子」「カッコいい女性」、こういったものは男女問わず大体の人間が好きであろう。ただし、一般的には男性がそれに対し惹かれる部分は、"異性としての魅力"だろうか。一方、女性は"同性としての憧れ"、自分もこうなりたい、的な感情が含まれるのだと思う。(自分は女性ではないのでこの辺は詳しくは分かりません)

自分は、前者と後者の感情が両方ある。"カワイイ女の子"に対して、時に何か嫉妬めいたものまで感じる事があるが、これは決して前者だけでは説明がつかない。自意識過剰なだけ?或いは自分以外の男性も実は同じ事を思っているのでしょうか?

 

「女の子になりたい」気持ちは常に自覚していたり、発露する訳ではない。生きてきた中で、突然一定の時期にまとめてやってきた。それが1回や2回ではないから、次第に自分の性格の一つとして認識するようになった。

例えば、半年前から自分はとても「丸の内にゃんにゃんOL」に憧れている。詳しくは省くが、これは雑誌東京カレンダーで名付けられた"女子の生態系"的な呼称の一つで、丸の内で一般職として勤務し、猫を被り様々な男性の誘いをいなしつつ、同じく丸の内に勤めるハイスペック男子との結婚を狙うOLを指すものである。

実録!リアル丸の内にゃんにゃんOLが出現する、噂のレストランたちはココだ!(1/4)[東京カレンダー]

「出たとこ勝負」「住めば都」を信条とし人生設計がちゃらんぽらんな自分は、「将来の夢は?」との質問にまともに答えられた試しがないが、今は間違いなくこの「丸の内にゃんにゃんOL」だと切り返すことができる。彼女らに憧れるのは、「生きてるだけで、誘われる」というキャッチコピーが示す通りきっと人生イージーモードなのだろうな、という私の浅はかな欲望もまた多分に含まれるが、「モテる」のが羨ましいだけならモテる同性にその眼差しは向くはずで、これもまた「女の子になりたい」の発露の形の一つなのだろう。丸の内にゃんにゃんOLにお近づきになりたいのではなく、丸の内にゃんにゃんOLになりたい。異性として交友関係を築くにしては、丸の内にゃんにゃんOLのあざとさは多分しんどい。最も、ハイスペ男子を狙う丸の内にゃんにゃんOL側からして私など願い下げだろうが。(そうでなければ原義的に丸の内にゃんにゃんOLではない)

 

そういえば、自分では「女の子になりたい」などと早々口にすることはないのに、それを周囲(特に女性)に見透かされていたこともあった。4年前に友達数人から誕生日プレゼントを頂いた時に、何故かそれがつけまつげ、ヘアバンド、キティちゃんグッズなど女性用アイテムばかりだった事があった。ただの悪ふざけであるのだが、「お前にそういう趣味があると思って選んだ」というようなことを言われたのを何故か覚えている。というか、もしかしたら「女の子になりたい」という気持ちへの自覚はそこから来てるのかもしれない。勿論それ以前から何となく、「そういう趣味」はあったが。

 

結局そのプレゼントは一度(それもおふざけ)しか使う機会が無かった。実の所その際はメイク等も多少したのだが、とにかくその当時も今も思うことは「女の子になりたい」と「女装願望」は全く一致しないということ。これを一緒くたに考えてた時期もかつてあるにはあったが、、、結局自分は女の子ではない。女装とは女の子を「真似る」行為であり女の子そのものに「なる」のとは全く異なるものだ。どんなに上手く外見を取り繕ったとしても、その人間の性別が変わる訳ではない。0.9999…=1となるのはあくまで数学上での話であり、私の「女の子らしさ」は女装では1にはならない。じゃあ自分がなりたい「女の子」の定義とはなんだ?心?性的指向?身体的特徴?そこを突き詰めていくと結局何になりたいのかも全く分からなくなってくるが、ともかく人生における数少ない女装体験をした当時は「こういう事ではないんだよな」などと、鏡に映った似合わない格好をしている自分を見ながら考えていた。まあもし自分が女装が似合う人間であれば、そこで「女の子になりたい」欲求は充足され上記の考え方が変わっていた…程度のものなのかもしれない。

 

 

このように、決してハッキリとした自意識では無いものの、思い返してみれば「女の子になりたい」という捉え所の無い小さな欲求が表出していたのかもしれないな、というエピソードが生きてきた中で幾つか思い当たる。そういった話の共通点としてこの欲求を探り当てた、いわば帰納的な推理であるので、この先もそうであるという保証も無いし、今までがそうだった、というだけなのかもしれない。それでも、少なくとも今の自分は自分の性格をこう思っているということは一度まとめておきたかったので、ブログで「女の子になりたい」論について記す事は年明けから考えており、一度書いては投げ出したものの何とか今更1つの投稿として成立するに至った。

 

 

最後に、、、ここまでの話は単なる願望、とすらも言えないようなうっすらとした欲求ではあるが、ブログに書いてみて思うのはそんなレベルであっても「自分はこうですよ」と性別に関する考え方を他者に伝えるには随分とエネルギーがいるということ。

芯が通ってないただの欲であるからこそ気恥ずかしいだけなのだと思うが、男らしく・女らしくという旧時代的な性別への観念はもしかしたら想像以上に根深く自分たちの中に存在しているのかもしれない。ただの思い込みや勘違いだと良いのだが、ストレートな性的自認である自分なりに"ストレートではない"人たちがそれを周囲に理解してもらう為の苦労を考えるきっかけにはなるし、ある種怖さも覚える。(実際にストレートでない性的自認をカミングアウトするのに比べればごくごく稚拙な話なので、比較する事自体不適当ではあるかもしれず、申し訳なく思っています。)